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第4回人を聴くためのカレッジ

(2019/5/31-6/2)

●印象に残ったこと、理解が深まったこと、自分の中で起きた変化など

『聴く』という行為そのものへの理解、そして『聴く』以前に、まずその人と付き合いたいという気持ちが湧いていないのに、そうしなければならないと思って聴こうとしていた事に気付いた。『聴きたい』が湧いてくる相手には、好意や親しみがあり、もっとわかり合いたいという願いを持ってるな。
『聴きたいのに聴けない』相手には、ついつい相手の表面的な言動に捉われて、その真意には意識が向いてないな・・・。引っかかる事が無い場合でさえも、言葉に捉われてるな。全ての行為には、自分も相手も何か気持ちが動いて、それを表現するために、何か話しているっていう、単純なことなんやけど、聴いている自分の中には『相手の真意・本心・願い』と、『相手の言動』と『自分が見聞きしたこと』と『自分が捉えたこと』全て違うんだということがハッキリと見えてない。「今、あなた、こう言ったよね」ってなる。「自分はこんな風に捉えたんやけど、相手の中での実際はどうだったんだろう?」とか、「今、相手の言っていることは自分は知らない」「どこまでいっても、知った、とは言えない相手の世界がある」―――そういうベースに立ち、本来の『聴く』が実現されていくと、本当にどこまでも聴けるはずだな。
去年、他界した母との思い出が蘇り、もっと本人から聴きたかったっていう想いで涙が流れた。死を覚悟した後にしか、相手の本当の声を知りたい、聴きたい、とならない。そんな生き方はなんか寂しいな。もっともっと『聴く』をやってみたい。大切な人と、互いに満たし合う人生を俺は求めているんだな。学びたい、という気持ちに再び火がついた。楽しく豊かな2泊3日でした。(30代男性、井上考史)


「人を聴く」の前に、自分を知る、知ろうとしている意識、状態(その時、その時の)であることが大切だということを感じた。決めつけや捉われがある状態、心が閉じた状態では、(外部からの情報の)入力の段階で、すでに対象への関心は起きてくるわけもない。自分の頭の中での思考がグルグルしたり、感情的な反応が起きてくる。それと当時に普段の何気ない言葉や行為の背景には、自分自身もその相手の中にも計り知れないプロセスや経験があることにも意識が向けられて、探究に尽きることはないなと改めて感じた。(40代男性、R.M.)

最近モヤモヤしていたことについて考えたり、言葉にすることができた。他の参加者のシェアを聴きながら、自分の中で出口がないように思えていたことも、そうではなく、シンプルになれば簡単かもしれないと思えた。
2期、3期のガイアエデュケーションの参加者の話を聴く中で、以前自分が感じていたことを思い出したり、自分の中にあった変化に目を向けることもあった。
サイエンズの理解はいろいろな過程にあるメンバーの、それぞれの気づきや表情・様子が興味深かった。(40代女性、S.T.)

 

「聴く」について。聞こうとした時に、人それぞれの世界観の中で言葉として捉えて、自分なりの考え方や思考回路・習慣・今まで生きてきた経験の上で理解し、発言していくプロセスがあるんだなぁ、と今までよりもはっきり分かったように思う。私自身は私だから、もっと自由に(自分の気持ちや思い・考えを)出していっても大丈夫なんじゃないかと少し自信と云うか、自由になった感じがします。
人を聴くというのが、日常の中ですごくシンプルで深く密接しているし、本当は誰もが願っている人と人とのつながりなんじゃないかと感じたし、最後のみっちーの話で『革命』という言葉を聞いて、今は一人一人の中で気づきや変化(の革命)だけど、それがもっと大きくなって輪が広がるとすごく大きな波になって社会が変化していくんじゃないかと思うと楽しみだなぁと感じています。(30代女性、吉田恵)

・印象に残ったこと
スタッフの方とアヤちゃんが言っていた『「人を聴く」は意外とシンプル』という言葉
・理解が深まったこと
難しくしているのは、頭の中でグルグルしている責める言葉、自分を守る言葉、自分の方が正しいのに、という弁解の言葉かなと思えてきたこと。
・自分の中で起きた変化
体を緩めて「何て言ったの?」「どうしてそう思ったの?」とか、私は「こんな感じがしたんだけど」と話せるようになりたい。その時、聴けなくても反応で返しても、後で、話し合えるようになれたら良いなと思えるようになった。(60代女性、A.A.)

聴く、という絵をもとにした説明がとてもわかりやすかった。どこまでも、自分の中の世界でしかないということがとてもよく理解できた。誰もおいていかなという事を大切な価値観として取入れているように思えて、その姿勢、あり方が参考になりました。(30代男性、無記名)

・実践しているコミュニティの人の話や様子に触れて、やっていく姿が想像できてよかった。今回のように夫婦は常にその中にいると参考になる。
・自分の癖、傾向に気付けてよかった。
・自分が決めつけていることが実際どうなのか、見ていくようにしたい。
・自分の心身を緩めて、楽に取り組んでいこうと思う。(40代男性、M.Y.)

人を聴くということが、私の中で難しい感じがあったと感じられた。人をよく聞く、しっかり聞く、という思いがして、「やらなければならない」と、どこか力が入るようになる。しかし、本来の聴くとは、 瞬間瞬間に自分を知って、相手を知りたいと思う作用ではないか? しなければならないわけでもなく、自然なことだと考えた。 
 何をしたいのか。何を実現しようとするのか。 自分と相手の中の本心が会ってそれを実現しようとする。 サイエンツメソッドの順番だと思った。お互いに交わしながら豊かになる世界だろうか。 
 自分の世界から離れ、数多い世界との出会い、自分が広まる世界、自分と人の境界がないのかと考えた。 "人を聴くのは革命だ"というミッチーの話が印象に残った。 
日常でもっと妻とユンホを聞けたらと思います。 
人を聞きながら場を作っていくのはどういうことなのか。 具体的に体験しながら理解したいです。 (30代男性、ジェオン)

同じ言葉を聞いても、そこで起こる反応は、人それぞれ違う。・・・私の場合、この、とてもあたり前のことを今回皆で探求していって、やっと、「聴く」を実現するベースとしての「ゼロ」からの視点に、近づけた感じがしたような。
ヒントになったのは、例えば「~してやがる」という言葉を聞いたときの反応。たいして気にならない人、嫌な気分になる人、逆に爽快な気分になる人もいるかもしれない。ある言葉を聞いて、「そういう言い方してるな」と思うだけではなく、嫌な感情まで起こるとしたら、それはなぜなのか、というあたりを探ってみたら、そうか、「自分」の世界観が、その感情に結び付けているということか、と。
感情で反応するクセ、そこから起こった感覚は私自身の感覚であるのに、まるで万国共通くらいに信じてしまう「自分」。ある状況を、そういう「自分」の世界観で勝手に判断して、その判断をもとに、「良かれと思って」対応しようとしてしまう。それが「決めつけ」であり、フィクションなのかな。本来、相手の言動と自分の感情との間に因果関係は存在しない、相手の感情や要求への責任もない。人の世界観はそれぞれ独自のもので、完全に知ることはできないし、それは自分のものも含めて、変化し続けているという認識が、常にベースにあること。それが「ゼロ」からの視点なのかな、と。
あまりにも慣れ親しんでいて気づけなかった「フィクション」が「フィクション」として見えてくると、「自分」という小さな囲いから、意識がどんどん拡大していくような感覚がおこってくる。「聴く」はきっとその先にあるような。(40代女性、J.F.)
 

●疑問に思ったこと、質問したいこと、これから理解していきたいこと

 

●疑問に思ったこと、質問したいこと、これから理解していきたいことなど。
探求の方法と、その効果の絶大さが不思議。いつも、いわば「迷える子羊」状態からテーマについてぼちぼち出し合う…だけ!なのに。 いや、もちろん、ひろりんやみっちー方々が「適度に」導いてくれたり軌道修正してくれたりがあってのことだとは思うけど。これもサイエンズの精神というか、押し付けや教える、ではなく、その人その人が持っているものを探求の輪の中で皆で引き出しあえば、いずれ必ず其々のペースで気づいていくことができる、という…、人に対する信頼感が、探求のプロセスにおいても貫かれている、という感じ…。(40代女性、J.F.)

今後もスクールのコースに入ったり、日常での探究、気づきを深めていくと共に、「人を聴く」ベースでやっていきたい仲間環境を作っていきたいし、そのためには何が必要なのか、どういうやり方がよいのかということも検討していけたらと思った。(40代男性、R.M.)

自分なりの考え方や思考回路・習慣etc…私の中のそういうモノはどうなっているんだろうなぁともっと深く掘り下げて知りたくなっています。(30代女性、吉田恵)

これから理解していきたいこと
自分の中でそれを責めに感じ、守りたいと思うようになったのは、何か過去に何かあって、それがどう関係しているのかを知りたいと思う。(60代女性、A.A.)

自覚、知るという事(30代男性、井上考史)
 

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