第6期2回目の感想(2016/6/17-19)
1. 印象に残ったこと、理解が深まったこと、自分の中で起きた変化など
「自立した自分を取り戻す」
2日目の「私が話し合いができなくなるのは なぜか?」を通して、自分を観察していくうちに、人との関係の中で、むしろ私自身から自分の主体性を失っているのを発見しました。
朝の散歩で、今日のレポートのテーマについて考えていたら、若い頃の事を思い出しました。
一人旅が好きで、定期的に日常を離れて旅をしていました。今になって改めて、一人旅 をしていた理由が明らかになりました。人との関係を離れて『自分を取り戻すための旅』だったんだと。
いつの頃からか、人との関係の中では、自分の主体性を押し殺す事が良いとか、人の言う事は聞かなければならないとか、勝手に思い込んでいたんだと気づきました。
自分では、今まで、他の人に比べれば、自分らしく、生きていると思って生きてきましたが、人の中では、全く自分らしさを失っていました。
この自分らしさを、人との中で取り戻す事が、私が何でも話し合えるために、必要なことだと思います。 まずこの事を自分が感じている想いや、そこから来る考えを素直に表現する事なしには、
何でも話せるという状態にはなれないんだと・・・。本当の自立にはならないと、やっと気づく事ができたように思います。思い出すと、ずーと このメッセージを妻から言われていた様な気がします。その時には、素直に受け入れる事が出来なくて反発していたけど、ここから自由にならないと、僕の未来はないかもしれません。
僕がこんな状態になった原因を見つめてみると、父の存在が大きいかもしれません。おそらく仕事場で、自分の思いや考えを押し殺して働き、酒を飲んだ時、普段の人格とまるで違う人になり母にあたっていたのを、子供の頃、ずっと見て育ちました。
僕がそこから受け取ったメッセージは、こんな大人にはなりたくない、という反面教師的なものでしたが、見事にそっくりな大人になってしまった気がします。「人との関係の中では自分を押し殺すものだ」ということを、動かしがたい事実、常識のように考えていました。それは、仕方のないものだと・・・。
何でも話し合うという事は、自分の主体性を取り戻したところからでしか有り得ない。
相手の主体を受けとめて、自分の主体と交流するやり取りを生み、育むために、お互いの主体性を大事にすることから、それが実現してゆくのだと思います。
逆にいえば、相手の主体性を侵してしまうのは、自分の主体性を大事にしていないからだともいえるかもしれません。
(40代男性、S.K)
「愛されたくて、本心を隠してきた」
自分の気持ち、本心の見つめ方が、少しわかった様な気がします。自分の本心がどんなものに隠されているか?
事例を振り返ってみることで、観えてくる世界がありました。いい子でいたい、その事で愛を受けとりたいと、切実に求める気持ちから、本心を隠すようになったのかもしれません。こういう事が少し見えるようになったのは、今回の成果でした。
(40代男性、S.K)
「一方的な通達から、気持ちを聞き合う双方向に」
自分の今までのコミュニケーションの在り方を見直せた。自分なりに解決しようとして考えた結論を相手に伝えるという、一方的な方法しか知らないで、結論に重きを置いていた。
2日目に他の参加者の例を一緒に調べてみて、相手とコミュニケーションをとるとき、特にネガティブな感情が発生した時に、自分もそのストレスから解放されるために、その気持ちをないことにしたくなる。見ないようにする。何か理由を自分で作って自分を納得させて、解消できた、と思っていた。ただ、その方法でここまでやって来て、それは一時的な紛らわしで、いつか破たんする可能性が高いと思ってきた。
自分が何でも話せる状態にならないと、話し合うことは難しい。ではどうしたらよいか。話し合う事が、結論有りきではなく、相手、自分の感情を開いて見るということで、新しい関係を生むのかもしれないと思った。
①相手との関係を悪くしたくない、伝えたくない様な行き違い、感情や思いのずれ、
→ ②この人とはうまくいかないと確信する様なトラブルが起きる。
→ ③自分なりに結論や解決策を考えて相手に伝える。
この工程において、③だけを相手につきつけていると気づいた。そこを、①の自分の気持ちを相手にただ伝える、聞いてもらって自分が困っていることをシンプルに話して、相手の反応を見て、聞いて話をした時に、③の結論自体が変わることも十分ありえたし、①の自分が感じていたネガティブな感情さえも、自分の思い込みだったと気づくことも多いかと思った。
自分が話し合える関係を作るには、まず自分のネガティブな感情と向き合い、相手への遠慮を外し、相手を何とかしようと決めつけないで、現状を作りだした自分の状態を見てみる。そこからそのままの気持ちを伝えて、相手の話もよく聴く。
この気付きから、これまで関係に問題があった母親に対して、今までとは違った内容のメールを送ることができた。すると母親から、これまでとは全く違った反応が返ってきた。すれ違いから、相手の違いを 非難することばかりに目がいっていたと思う。
そして、相手が変化しない事は、自分が変化しない、という事だったのかもと考えた。
(30代女性、おやぢ)
「気持ちKIMOCHIはスパイスでしかなかった」
なぜ話し合えなくなるのか、それはKIMOCHIに直面するのを恐れるから。
キモチ、キモイ。
「~ベキ」という規範がそいつを覆い隠してくれている。
他者のあるべきイメージがあり、自分のあるべきイメージがあった。
罪悪感も、劣等感も、それと表裏一体だった。
ようはKIMOCHIが外から侵されるのを防ぐ壁だった。
KIMOCHIに外から侵されるのを防ぐ壁だった。
命令の「通達」がコミュニケーションのモデル。
だから話し合いは「ベキ」×「ベキ」だった。
やりたくないけど、やるべきだからやる。
なぜあいつはやるべきことをやっていないんだ。
KIMOCHIに反するベキが、またもう一つKIMOCHIに反するベキを生んで行く。
これまで僕の日常の足はTSUTATSU交通だったし、食べるのはMONOサンドやホームメード弁当だった。KIMOCHIはスパイスでしかなかった。
今回気づいたのは、KIMOCHI交通の大切さ。
KIMOCHI弁当。
KIMOCHI交通の駅弁。メインディッシュはキモチ。豚キムチもあるよ。
おそらく僕は「君のKIMOCHI弁当なんかに興味はないよ」というフリをしたかった。
独立した主体であるところの私は自分の弁当を持っているし、あなたの弁当などいらないよと。
なんで相手に興味がないフリをしたかったのか。
それもまたベキベキした自画像を維持するためであった。
ベキベキした包装紙を剝いで折り紙でも遊びながら、自分のKIMOCHIに深呼吸させる。
相手のKIMOCHIへの率直な食欲を受け入れて、KIMOCHI交通網の路線図を描いていきたい。
(30代男性、J.Y)
「最初から守りに入っていた」
今までは、話し合うということは、事業とか言葉のやり取りで、上辺のことばかりに捉われて、内面に触れることをしてこなかった。
自分が出来ていないと指摘されると心にゆとりがなくなり、話し合いのはずなのに、いつのまにか始点がずれていくことが多かったと思う。誰が言った、言わない、とか、自分の援護で話し合いにならないで終始してきた。中途半端で終わってしまって、いつも同じことを繰り返してきた気がする。
ここにきて皆さんの話を聴いているうちに、自分が何で守りに入るのか、また相手の言葉の背景を知ることで紐解いていかないと、何でも話し合える仲にはなれないことに気付かされました。
(70代女性、N.H)
◇印象に残ったこと。
今回の講座で少しずつ、みんなが心を開いていく様子が伺えた。そのことによって、親しさを感じていった。
自分事をあまり人に話してこなかった、私自身の変化に自分が一番驚いています。
◇理解が深まったこと。
なぜ、娘がカレッジへの参加を希望したのか分からないまま、また、何か自分たちの活動の参考になることがあればいいなと軽い気持ちで伺いました。
一回目の講座を受ける中で、娘の気持ちがコミュニケーションの下手な私自身の改善を願ってだと気付きました。
きっと、私が思っている以上に娘の方が深刻に悩んでいたと思います。
「なぜ、話し合いがうまくできないのか。」自分なりにあれこれ反省しながらも、娘に切りだす糸口が見つからないまま一か月が過ぎた感じでした。
今回、みんなで話し合い掘り下げていく中で、「娘さんは、お母さんが好きだよ」と、すーさんの一言にはっとしました。私の心の底に、無意識のうちに「娘は私が嫌いだ」と勝手に決めつけている事に気づきました。自分を振り出しに戻せるきっかけができたと思いました。まだ、娘とは話し合っていませんが、心穏やかな日々を過ごしています。
(70代女性、N.H)
「母親と娘の関係」
会議をしても会議じゃなく口論になってしまう。
何で素直にしゃべれないんだろう。
ごめんなさいの一言が娘に言えないもどかしさ
娘さんからは私のやっていること認めてほしい。
でもこれって愛情の裏返し
娘さんは母親の愛情が欲しい為に
自分の気持ちとは裏腹に
違うことを伝え続けていたのでは
かあちゃん。きづいて
(60代男性 鈴木)
2. 疑問に思ったこと、質問したいこと、これから理解していきたいこと
どのように恐れは無くなっていくのか? など (40代男性 R.Y)
実践方法、これから、模索していくのだと思う。対話を続けていく途中に、やはり、疲れる時があるかと思うが、そういう時はどうしたらいいのか?
相手との関係が変化したい場合は、まだ、足りないものがあるのか、限界なのか、その見極めは、いつくだすのだろうか? (30代女性、おやぢ)
一番身近であり、一番大事にしたい娘との関係を修復していきたいと思っています。
時間がかかるかもしれませんが、自分自身を磨くことによって会の運営に活かせると思っています。
(70代女性、N.H)
●その他、なんでも・・・
J君やおやぢさんなど一緒の地域から来ている人たちと場を共にでき、今後にも繋がりそうでありがたいです。
(40代男性、R.Y)